「謎の探検家菅野力夫」を出版しました。

謎の探検家菅野力夫
若林 純
A5判 予価2,000円+税
2010年5月発売 青弓社
Amazonで購入

明治末期から昭和初期まで世界中を探検してまわった男がいた。カメラを片手に船や徒歩、自転車をも駆使して各地を訪ねたその男の名は菅野力夫。日本がようやく国際化しつつあった時代に、一足早くシベリア、中国、東南アジア、インド、南アフリカ、ハワイ、南米を股にかけて歩いた菅野の謎に満ちた生涯に迫る。写真を300以上所収。


「謎の探検家 菅野力夫」書評

  

1月20日、福島民報に掲載されました。

大正・昭和・・・世界を駆けた探検家
菅野力夫の足跡に光
故郷郡山で遺品大量発見
写真や絵葉書

大正から昭和にかけて世界を飛び回っていた郡山出身の「探検家」が没後四十五年目にあらためて注目を集めている。探検家菅野(すがの)力夫だ。菅野の研究を続けていた東京都のカメラマン若林純さん(五十)がこのほど、菅野の故郷の郡山市喜久田町で遺品を発見した。整理中だが、世界各地で撮影した写真のネガフィルム約五千七百枚や絵はがき、講演会の記録など総計一万点以上があった。若林さんは「菅野の足跡を知る貴重な資料。埋もれていた菅野の存在や功績に光を当て、多くの人に知ってもらいたい」と話している。(福島民報 2008年1月20日)

菅野力夫BLOG 最新記事から


菅野力夫 japanese over world Traveller

菅野力夫講演会チラシ菅野力夫絵葉書菅野力夫第二回世界探検

明治20年2月9日現在の福島県郡山市喜久田町に生まれる。旧制安積中学を中退、大アジア主義を標榜していた頭山満の書生となる。明治44年辛亥革命が起こり頭山満に同行し訪中。そのまま印度を経てイランまで第1回の世界探検を行う。以来30年の間10回近くの世界探検旅行を行い、帰国のたびに各地で講演を行い、そこで絵葉書が売られた。世界各地の撮影を行い、12800枚の写真を撮影。自分で撮影するだけでなく、国内外随所で自分が写真に納まっている。戦後は郡山に隠棲しながらも各地で講演活動を行い、昭和38年76歳で逝去。

菅野力夫遺品トランク菅野力夫遺品カメラ
世界探検家菅野力夫が愛用したトランク、カメラ

未公開写真など数千枚発見

 大正から昭和10年代前半にかけて一世を風靡(ふうび)した世界探検家、菅野力夫が探検した各地で撮影した未公開写真など数千枚が見つかった。著名人でありながら、彼の人物像や軌跡の詳細は謎につつまれ、戦後は忘れられた存在となっていた。それだけに識者は「知られざる近代史の断面をいまに伝え、これまでのいささか怪しげな菅野像を一変させる貴重な資料」としている。(関厚夫)

 写真を確認したのは東京都在住のフリーカメラマン、若林純さん(49)。昨年末、菅野が晩年(昭和38年に76歳で死去)に暮らし、彼の郷里でもあった福島県郡山市の遠縁方を訪ねたさい、納屋に写真アルバムやネガが入った段ボール箱などが置きざらしになっているのを見つけた。

 菅野は計8度にわたって「世界探検の旅」を行っている。確認された写真には東南アジアやインドにはじまり、ハワイやペルー、満州にモンゴル、樺太、シベリアの各地が撮影されている。中には南満州鉄道(満鉄)の車両工場や当時「埋蔵量世界一」とも称された中国・大同炭鉱の風景などの“珍品”もある。

 一方で菅野はフリーの従軍記者兼カメラマンでもあった。昭和13、14年の「最後の探検」では、日本軍とともに、日中戦争の最前線をまわり、交戦する軍や廃虚となった市街地を写真に収めている。また彼の交友範囲は広く、高名な芸術家や政治家、右翼の大立者、軍特務機関の「歩兵大佐」との記念写真もあった。

 菅野は帰国したさい、探検先の名所や名物と自分の姿を撮影した写真をカラー彩色した絵はがきを作製して国内で売ったり、講演会を開いたりして収入を得ていた。当時、絵はがき、後援会ともに、大好評を博し、絵はがきは現在でも、古書店などで10枚単位で数千円で販売されている。

 だが、探検費用については、別にスポンサーがいた、ともみられている。

 近代文化史の研究家でもあるSF作家、横田順彌さんの話「一部の写真を見ただけだが、その質の高さと菅野の人脈の広さに驚いている。私は彼を“軍事探偵”と考えてきたが、それよりも“日本初のフリーのフォトジャーナリスト”としてもっと高く評価されてもいいのではないか」

  • 産経新聞 2007年7月7日(土)
菅野力夫ポートレイト
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