菅野力夫 略年譜

明治20年(1887) 2月9日 福島県郡山市喜久田町にて出生 菅野金七の次男
明治44年(1911) 辛亥革命、頭山満とともに上海に渡る
(安積中学中退後、頭山満を慕って書生となり同居していた)
明45/大元(1912) 上海〜長崎
大正2年(1913) 1月鹿児島
第1回世界探検旅行2月台北〜シンガポール
(シンガポール・スマトラ・マレー・タイ・ビルマ・インド・(ベルジスタン)バングラディシュ・パキスタン)
大正3年(1914) 2月、第1回世界探検帰国 
8月1日、第2回世界探検旅行へ東京を出発
9月、ウラジオへ
露領アムール州アレキセーウスク市、ウラジオストック
露領ブラゴウエシチェンス市、黒龍江省黒河道、
露領ザバイカル州ネルチンスク州
西比利亜チタ市、ザバイカル州スツレチエンスク市郊外
露領ウエルフネウジンスク市、イルクウスクー市、
ハルピン、長春、満州里、南満州四平街、撫順、遼陽
営口、柳樹屯、大連、青島、台東鎮、済南
天津、北京、漢口、南京、上海
大正4年(1915) 第2回世界探検、上海で発病、別府で療養
7月10日上海発
大正7年(1918) 9月〜大正8年1月、台湾講演、阿里山、新高山登山
大正8年(1919) 10月〜大正9年4月 朝鮮、支那、満州講演旅行
10月1日京城、2日釜山
12月14日朝鮮木浦
大正9年(1920) 正月浦項、1月8日威興
紀元節会寧、2月仁川
3月大邸
4月平譲〜満州、旅順、大連、支那、青島、奉天
大正12年(1923) 第3回世界旅行〜大正14年
ハワイ・メキシコ・パナマ・ペルー・チリ・アルゼンチン・ブラジル
南アフリカ・モザンビーク・シンガポール・ジャワ・マレー・タイ
仏領印度支那(ベトナム、ラオス、カンボジア)・香港
8月10日 ペルー国カイヤオ港上陸
大正13年(1924) 4月1日 チリ国バルパライソ港に向けペルー国カイヤオ港出航
大正14年(1925) 1月13日シンガポール上陸、大正14年6月15日シャム国バンコック市
馬来旅行、シンガポール、ジョホール王国ムア市、スレンバン市ネグリスミラン王城、セランゴール州コーランポー市
ペラ州イッポー市、タンピン市、ピナン港
4月2日シンガポール出航、5日瓜哇バタビヤへ
瓜哇、バタビヤ、バイディンゾールグ、バンドン、ガロー
チカジャン、タシクマラヤ、スカハジ、スマラン、ソロ
スコアリジョ、ランカップ、ジョクジャ
6月6日バタビヤ出航、シンガポール経由、15日にバンコック着
(孫文死去)
昭和7年(1932) 4月3日(神武天皇祭)、明治天皇崩御以来から剃らなかったヒゲを20年ぶりに剃る
(満州建国、5・15事件)
昭和8年(1933) 第4回世界探検旅行9月9日〜昭和9年5月
9月9日満州へ。満州・蒙古・支那。(62ヶ所)
昭和9年(1934) 5月・第4回世界探検から帰国
9月13日〜12月末北海道、樺太講演旅行
11月29日〜12月1日樺太
昭和10年(1935) 第5回世界探検旅行、8月26日出発〜11月30日帰国。
関東州、満州、蒙古、支那、朝鮮(55ヶ所)
新京、松花江、黒龍江、黒河、龍江省、?南、興安南省王爺廟、索倫、満州里、興安嶺山中、綏芬河吉林、朝陽、承徳、北京、撫順、鞍山、新京、京城
8月26日神戸出航、29日大連上陸
昭和11年(1936) 第6回世界探検旅行 ハワイ、アメリカ
1月30日横浜出航
2月8日ホノルル着
2月11日日本に送還される、ハワイ上陸できず帰国、ハワイ事件
朝鮮へ講演旅行、4月3日〜7月29日、金剛山登山、赴戦高原視察
7月19〜21日金剛山、24〜25日赴戦高原長津湖
(2・26事件)
昭和12年(1937)
(50歳)
第7回世界探検旅行・フィリピン4月〜12月
1月16日〜2月28日台湾(高雄、台東、タロコ渓谷)
2月28日〜3月18日南支那(広東省汕頭、厦門、福建省福州)
3月20日〜4月18日台湾、
4月22日〜30日、頭山満、天鬼将軍の招待、新潟・福島歴遊
8月31日台湾経由フィリピン
12月30日帰国。
フィリピン・ダバオ、カリナン、バヤバス、ミンタル、タモガン、北ミンダナオ、東ミサミス州カガヤン、ラナオ湖畔、ダンサランブキドノン州マライバライ、東ミサミス地方、サンボアンガ、セブ
(7月日中戦争勃発)
昭和13年(1938) 0月〜昭和14年5月 第8回世界探検旅行、北中支戦線59ヶ所踏査
戦地旅行、北京、蘆溝橋、張家口、万里長城、大同、雲崗、厚和、山西省、太原、石家庄、青島、山東省、泰山、徐州、開封、無錫、揚州、漢口、上海、武昌、岳州、湖北省、南昌、杭州、蘇州
昭和19年(1944) 頭山満逝去
昭和20年(1945) 終戦
昭和22年 講演活動を再開〜昭和36年まで講演活動を続ける
昭和38年 3月12日 菅野力夫逝去 享年76歳
墓碑の文字は頭山満の揮毫。生前に揮毫を頼み、墓自体も菅野力夫が生前に建てたらしい。
墓碑の裏面は元福島県知事宮田光雄に頼んでまとめた撰文
   
参考 菅野俊之「世界探検家 菅野力夫断章」(「サンパン」3期6号 2003年12月30日発行所収)
絵葉書説明文
PHOTO


菅野力夫の墓
揮毫は頭山満
喜久田町龍角寺